TUG FOODについて
創業の想い
創業メンバー 奥⻑義啓、⼩川剛、平岡寛視は、いずれも今や世界に広がる⽇本を代表するラーメンチェーン「⼀⾵堂」を運営する株式会社⼒の源カンパニー出⾝。退社後、奥⻑は豚⾻ラーメン「まんかい」を3店舗経営、⼩川はラーメン業態のプランニング・コンサルティングを⼿がける「A-FRAME」を⽴ち上げ、平岡は札幌の地で「JAPANESE RAMEN NOODLE LAB Q」を開業、今では東京駅構内のラーメン店をプロデュースするなど、北海道を代表するラーメン職⼈として活躍しています。
一風堂時代に、店舗という形で世界中に日本のラーメン文化を広めていく中で培った理念。
「変わらないために変わり続ける」
「⾃分の⼈⽣の主⼈公は⾃分⾃⾝」
「常に新しい価値を創造する」
「笑顔とありがとう」
「⼀⼈のお客様と⼀杯のラーメンからしか始まらない」・・・
私たち三人は、現在でもこれらの理念〜価値観を経営の根底に置き、それぞれの事業を営んできています。そんな最中、世界中を危機に陥れたコロナ禍・・・
飲⾷に対する価値観が⼤きく変わり、新しい⽣活態様の中でのスタイルが模索される今、志と⼤切にするものの価値観を同じくする創業の3名それぞれの得意分野と個性を結集して、育てていただいた日本のラーメン業界に対して今一度新たな価値を投げかけるとともに、同じ価値観を共有する仲間の⼒を結集して、⽣み出したものを世の中に投げかけていくための「場」を作ることが私たち三人の設⽴の思いです。
資本で様々な経営資源を囲い込む規模の経済の時代は終わりました。
志を同じくするもの同志で、持てる強みを分かち合い、弱みを補い合いながら、大きな連帯を図っていくことを経営スタイルとして、タグフードはスタートを切ります。
ラーメンを通して
日本の文化の発信
日本を元気にしたい
ラーメンを通して
日本の文化の発信
日本を元気にしたい
ラーメンを軸として企業様の成長を実現する、
それが「TUG FOOD」です。
ラーメンを軸として企業様の成長を実現する、それが「TUG FOOD」です。
TUG とは、英語で「グイッと引っ張る」という意味。会社⾃体の規模の拡⼤を志向するのではなく、⼩さな組織の我々が、大きな会社や業界、社会を“牽引”し、ラーメン業界を世界中の⼈々にとって、なくてはならない存在に導いていきたいという想いがあります。
また、スペルは違います(TAG)が、飲⾷の歴史の中の⾒出し、つまり“タグ”になるような、新しい価値を⽣み出す仕事がしたいという想いも込めて、「タグフード」と名付けました。
本質的な『経営力』の導入と強化は、激化する市場環境に身を置く全ての企業にとって最重要課題の1つ。TUG FOODは、そのような企業様に我々をチームとして送り込み、喫緊課題への対処のみならず、経営ノウハウを企業様の組織に移植することで、持続可能な成長を実現します。
ビジネス課題に対してソリューション提案を行うのみの従来のコンサルティングサービスでは、企業様の経営力として確立することは出来ません。魚が欲しいとき、「魚」を外注し続けることは本質的な解決ではなく、企業様にとって本当に必要なのは自ら魚を釣れる能力「釣竿と釣り方」を備えること。したがって、私たちは、経営ノウハウの移植のために必要な組織構築やトレーニングまで支援させていただきます。
私たちは、原理原則を経営の根底に置き、それぞれの事業を確立させています。世界中を危機に陥れたコロナ禍により、飲⾷に対する価値観が⼤きく変わり、いわゆる常識が変化しても、原理原則は変わることはありません。
志と価値観を同じくするメンバーそれぞれの得意分野と個性を結集してラーメンを通して日本の文化を広めるとともに、ラーメン業界に対して今一度新たな価値を投げかけ、同じ価値観を共有する仲間の⼒を結集して、⽣み出したものを世の中に投げかけていくための「場」を作ることが私たちの設⽴の思いです。
我々は今後、あるときは覚悟ある企業様リーダーのブレーンとして、またあるときはTUG FOODメンバーがその当事者として、共に汗をかきながら経営力の注入による企業成長や事業創造に取り組んで参ります。 1つでも多くの企業、事業、業態に本物の経営力を普及させ、日本社会の活性化と日本文化の発信に繋げたい。
我々「TUG FOOD」は、つながった世界に対して、日本の武器となることを強く願い、これよりコンサルティングで日本を元気に、そして日本文化を発信するために全力で邁進する所存でございます。何とぞ、皆様の御支援と御指導を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
創業の想い
創業メンバー 奥⻑義啓、⼩川剛、平岡寛視は、いずれも今や世界に広がる⽇本を代表するラーメンチェーン「⼀⾵堂」を運営する株式会社⼒の源カンパニー出⾝。
退社後、奥⻑は豚⾻ラーメン「まんかい」を3店舗経営、⼩川はラーメン業態のプランニング・コンサルティングを⼿がける「A-FRAME」を⽴ち上げ、平岡は札幌の地で「JAPANESE RAMEN NOODLE LAB Q」を開業、今では東京駅構内のラーメン店をプロデュースするなど、北海道を代表するラーメン職⼈として活躍しています。
一風堂時代に、店舗という形で
世界中に日本のラーメン文化を広めていく中で培った理念。
「変わらないために変わり続ける」
「⾃分の⼈⽣の主⼈公は⾃分⾃⾝」
「常に新しい価値を創造する」
「笑顔とありがとう」
「⼀⼈のお客様と⼀杯のラーメンからしか始まらない」
「変わらないために変わり続ける」
「⾃分の⼈⽣の主⼈公は⾃分⾃⾝」
「常に新しい価値を創造する」
「笑顔とありがとう」
「⼀⼈のお客様と⼀杯のラーメンからしか始まらない」
私たち三人は、現在でもこれらの理念〜価値観を経営の根底に置き、それぞれの事業を営んできています。そんな最中、世界中を危機に陥れたコロナ禍・・・
飲⾷に対する価値観が⼤きく変わり、新しい⽣活態様の中でのスタイルが模索される今、志と⼤切にするものの価値観を同じくする創業の3名それぞれの得意分野と個性を結集して、育てていただいた日本のラーメン業界に対して今一度新たな価値を投げかけるとともに、同じ価値観を共有する仲間の⼒を結集して、⽣み出したものを世の中に投げかけていくための「場」を作ることが私たち三人の設⽴の思いです。
創業の想い
創業メンバー 奥⻑義啓、⼩川剛、平岡寛視は、いずれも今や世界に広がる⽇本を代表するラーメンチェーン「⼀⾵堂」を運営する株式会社⼒の源カンパニー出⾝。退社後、奥⻑は豚⾻ラーメン「まんかい」を3店舗経営、⼩川はラーメン業態のプランニング・コンサルティングを⼿がける「A-FRAME」を⽴ち上げ、平岡は札幌の地で「JAPANESE RAMEN NOODLE LAB Q」を開業、今では東京駅構内のラーメン店をプロデュースするなど、北海道を代表するラーメン職⼈として活躍しています。
一風堂時代に、店舗という形で世界中に日本のラーメン文化を広めていく中で培った理念。
「変わらないために変わり続ける」
「⾃分の⼈⽣の主⼈公は⾃分⾃⾝」
「常に新しい価値を創造する」
「笑顔とありがとう」
「⼀⼈のお客様と⼀杯のラーメンからしか始まらない」・・・
私たち三人は、現在でもこれらの理念〜価値観を経営の根底に置き、それぞれの事業を営んできています。そんな最中、世界中を危機に陥れたコロナ禍・・・
飲⾷に対する価値観が⼤きく変わり、新しい⽣活態様の中でのスタイルが模索される今、志と⼤切にするものの価値観を同じくする創業の3名それぞれの得意分野と個性を結集して、育てていただいた日本のラーメン業界に対して今一度新たな価値を投げかけるとともに、同じ価値観を共有する仲間の⼒を結集して、⽣み出したものを世の中に投げかけていくための「場」を作ることが私たち三人の設⽴の思いです。
資本で様々な経営資源を囲い込む規模の経済の時代は終わりました。
志を同じくするもの同志で、持てる強みを分かち合い、弱みを補い合いながら、大きな連帯を図っていくことを経営スタイルとして、タグフードはスタートを切ります。
代表取締役社長 奥長義啓
1968年、岐阜県に生まれ、味噌ラーメン店を経営する両親の元で育つ。アパレルメーカーでの営業を経て、26 歳のときに力の源カンパニー入社。関⻄エリアマネージャー、営業本部⻑、取締役を歴任し、一風堂の急成⻑ 期に1000人超を束ねる現場トップとして成⻑を牽引。シンガポールや香港、台湾など、海外の事業展開にも 尽力する。19年間勤め上げた後、2013年、大阪市福島区に「博多純系豚骨ラーメン まんかい」を創業。芳 醇で深みのあるスープが評判となり、関⻄では瞬く間に注目店となる。現在、大阪と福岡に3店舗を経営中。
取締役副社長 小川 剛
1968年、岐阜県に生まれ、味噌ラーメン店を経営する両親の元で育つ。アパレルメーカーでの営業を経て、26 歳のときに力の源カンパニー入社。関⻄エリアマネージャー、営業本部⻑、取締役を歴任し、一風堂の急成⻑ 期に1000人超を束ねる現場トップとして成⻑を牽引。シンガポールや香港、台湾など、海外の事業展開にも 尽力する。19年間勤め上げた後、2013年、大阪市福島区に「博多純系豚骨ラーメン まんかい」を創業。芳 醇で深みのあるスープが評判となり、関⻄では瞬く間に注目店となる。現在、大阪と福岡に3店舗を経営中。
取締役開発責任者 平岡寛視
1968年、岐阜県に生まれ、味噌ラーメン店を経営する両親の元で育つ。アパレルメーカーでの営業を経て、26 歳のときに力の源カンパニー入社。関⻄エリアマネージャー、営業本部⻑、取締役を歴任し、一風堂の急成⻑ 期に1000人超を束ねる現場トップとして成⻑を牽引。シンガポールや香港、台湾など、海外の事業展開にも 尽力する。19年間勤め上げた後、2013年、大阪市福島区に「博多純系豚骨ラーメン まんかい」を創業。芳 醇で深みのあるスープが評判となり、関⻄では瞬く間に注目店となる。現在、大阪と福岡に3店舗を経営中。
私たちのご紹介
代表取締役社長 奥長義啓
1968年、岐阜県に生まれ、味噌ラーメン店を経営する両親の元で育つ。アパレルメーカーでの営業を経て、26歳のときに力の源カンパニー入社。関⻄エリアマネージャー、営業本部⻑、取締役を歴任し、一風堂の急成⻑ 期に1000人超を束ねる現場トップとして成⻑を牽引。シンガポールや香港、台湾など、海外の事業展開にも尽力する。19年間勤め上げた後、2013年、大阪市福島区に「博多純系豚骨ラーメン まんかい」を創業。芳醇で深みのあるスープが評判となり、関⻄では瞬く間に注目店となる。現在、大阪と福岡に3店舗を経営中。
取締役副社長 小川 剛
1963年、横浜生まれ。⻘山学院大学卒業後、1994年にオープンし年間150万人以上を集客した「新横浜 ラーメン博物館」設立プロジェクトに参画、13年に渡り集客企画の立案に携わり数々のラーメンブームを作り出す。2003年、株式会社力の源カンパニーに転じ、広報宣伝、店舗開発を担当する他、同社初の海外店舗となる「IPPUDO NY」設立プロジェクトを手がけ、IPPUDO NY Inc.社⻑就任。2011年には、駅ナカ向けラーメン業態「TOKYO豚骨BASE」を総合プロデュースするなど、飲食業態プランニングに従事。2018年、独立し、ラーメン店のコンサルティング・プランニングを手がける「A-FRAME」を立ち上げ現在に至る。
取締役開発責任者 平岡寛視
1981年兵庫県生まれ。ウィンターシーズンはプロスノーボーダーとして活動しながら、春〜秋は一風堂の現場で働き、ラーメンの世界に魅せられる。新店舗立ち上げ担当など13年間修行した後、2014年6月、札幌に「Japanese Ramen Noodle LabQ」をオープン。味噌ラーメンが主流の地で地鶏ベースの清湯スープに醤 油を合わせた淡麗なラーメンで人気を博し、食べログ北海道エリアラーメン部門で1位を獲得。2016年にはアメリカ ニューヨークからオファーを受け、日本食レストランのメニュー開発と店舗立上げをプロデュース。2020年、東京駅グランスタ東京内「Nippon Ramen 凛TOKYO」をプロデュース。次世代を担う日本を代表するラーメン職人として注目を浴びている。
新しい価値を⽣み出す仕事がしたい
TUG とは、英語で「グイッと引っ張る」という意味。
会社⾃体の規模の拡⼤を志向するのではなく、⼩さな図体の我々が、資本力の強い会社や業界、社会を“引っ張り”、我々が育ててもらったラーメン業界を世界中の⼈々にとってなくてはならない存在に導いていきたいという想いがあります。